地獄の門にて【ダンテ/神曲/ロダン/フランス/パリ/オルセー/美術館】


あれをやってもこれをやっても、何をやっても上手くいくことがなく、途方に暮れていた私は、フランス旅行の際、ロダン美術館を訪れた。理由は他でもなく地獄の門である。地獄の門は、ダンテ作の「神曲」に出てくる門である。政治状況により理不尽な形でフィレンツェを追われたダンテは、失意の後に、地獄への入口である地獄の門へたどり着いた。その作品に出てくる門は、「考える人」で有名なロダンの作品である。ダンテ美術館にはその門が飾られている。「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」という有名な一文はよく知られるところである。

ロダン美術館の受付を済ませ、入口から向かって右手にはダンテの考える人の像、左手には、綺麗に、よく手入れされた緑と芝生の向こう側に地獄の門が見えた。冬の冷たい風が流れている。

その門には、多くの観光客が足を止めて観察していた。固唾をのんで見つめるものも後を絶たない。

私は「『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』ということは、少しでも希望を持っている場合にはこの門は開かないことになる。上手くいかずに投げやりになっているものの、この門があかなければまだ希望があるということになる。」と考えていた。私は希望を持つためにも、一切の希望を失ったと思っている私が門の前に立ってもなお、この門が未だあかないことを確かめに来たのであった。

門が設置されている白い大理石の上を、ブーツの音をコツコツとたてながらゆっくりと進む。数十秒ほど門の前に立って門の細部を見つめていたが、やはり門は開かなかった。安心感を持つ反面

「そもそも開くわけないじゃないか。何をやっているんだ俺は。本の読みすぎ、ドラマの見過ぎではないか。馬鹿馬鹿しい。」

そう思い門に背を向け、大理石の階段を降りようとした。

その途端、どこからともなく低く、唸るような声がした。

「おい、そこのお前、そこのお前」

何語で語りかけられたのかはわからないが、意味は自然と分かった。私はゆっくりと振り返る。「誰だ?そこの老夫婦か?」とは思うものの、どうやら違うようである。気のせいだと思いさらに一歩足をすすめた。

「おい、そこのお前」

その低い声は、直接頭の中に語り掛けてくる。老夫婦を含め周りの人は時が止まったように動かない。気付けば冷たい風はぴたりとやんでいた。ただまさか、と思いつつも、一瞬そっと首をひねり目の脇で門を見つめる。

「ようやく気が付いたか。一切の希望を捨ててきたのではないのか」

私は震える体を抑えようやく振り返り、門を見ると振動しているのが遠めでも感じることができた。

「もっと近くへ来い」

足は震え、心臓の鼓動も早くなっているのを抑え、先ほどの大理石の石段を恐る恐る上る。さっきよりもブーツの音が澄んで広くあたりに響き渡った。

「準備はいいな?」その声は諭すように語りかけてくる。

私は、意を決してゆっくりとうなづいた。その門の左側が、ゆっくりと、軋む戸と地上で石を動かすような音を立てながらゆっくりと、50㎝程開いた。門の中には、一切の光がなく、黒であることが言い表すことが難しいほどの暗闇が垣間見える。中からは、夜に深い森で響いているであろうカラスの鳴き声や失望に満ちたため息が、その闇とともに漏れ出してきている。私は意を決して、一歩踏み出した。ブーツの音は一層大きくなる。

門の中に入るや否や、門は静かな音を立てて閉まり、固く閉ざされた。私は不気味な声やため息で満たされた暗闇の中を、前に進むしか道はなくなった。ブーツの音はもう聞こえなくなっていた。

・・・なんてことを地獄の門の脇にあるベンチで、門を見つめながら考えていたところである。

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